10月9日

  • 『501』 (1999年9月・旧稿です)


 地元に帰るとかならず行く店に501というお店があります。3年前くらいに地元の友達が教えてくれたお店です。友達は常連らしく、「こんばんわあ」と気の抜けた声で言い、やおらに靴を脱ぎ始めました。よく見るとたたきにお客さんの靴が脱ぎ散らかしてあり、入り口横のテーブル二つとあとはカウンターのごちゃごちゃしたお店でした。 
 しゅうちゃんていう人が一人がやっていて、無口にテーブルの方を指さしすぐ下を向いて料理を作ってました。
 
 手羽先と山芋の梅シソあえがやたら旨くて、むやみにほうばっていたら、僕ら四人の話が聞こえたらしく、「オマエ、東京におんのけ」といきなり聞かれ、「東京はやっぱりオマエみたいな丸刈りが流行ってんのけ」と聞かれ、「オマエ、ほんまに痩せてるなあ、けどそのわりには首だけ太いなあ、へんやな」といろいろ言われ、「はあ、はあ」と答えて、その日は終わりました。

 怖そうなおっさんやなあと思ったまま、二度目を半年ぶりにいったら、憶えててくれて、

「オマエ、きっついヒゲはやしたやなあ」と笑われました。
「何やってんねん、東京で」
「写真やってます」
「はあ?写真」
「ほうです」
「写真ってどんなんえ、女優さんとかとってんのけ」
「いえ、こんなんです」
「なんや写真もってんのけ。ちょう見せろえ」
「いいすよ」
「・・・」
「ええやんけ、これ飾ってええか」
「あ、じゃあこの子どもたちとかどうですか」
「子どもはええわ、別に。このヤギとか猫とか、犬はええがな、罪が無くて、わはは、飾ろう」て言うてくれて、店が終わってから、音楽とか、プロレスのポスター剥がして貼ってくれました。

 その後、帰るたんびに501に通いました。地元の職人さんとか、おねえちゃんとかでいつも混んでて、みんな「しゅうちゃん、しゅうちゃん」いうてうるさい店でした。しゅうちゃんは注文を怒鳴る客は嫌いらしくて、そういう時は黙って紙と鉛筆わたしてました。手羽先と梅シソあえはいつもおいしく、しゅうちゃんは無口な僕に声をかけてくれました。帰省するたんびに今度は外したるかなあと思っていたヤギと猫と犬の写真はいつもその店にありました。トイレの猫をしゅうちゃんは「まねきねこ」やっていうてました。ときおり店の二階からどたどたと子どもが降りてきて、しゅうちゃんに怒鳴りつけられていました。

 今年の夏にも、盆にしゅうちゃんの店に行きました。たてつづけに二日行って、その二日目の晩に、まわりの客がひけてしゅうちゃんが珍しく話し込んでくれました。

 「こないだ初めて、新幹線乗ったわ、わい」
 「へ、初めて?」
 「ほうやあ法事があってな、わい大阪の親戚とわざわざ待ち合わせたんや、米原駅でよ。ほいだら前の日にやな。客の女の子が二人呑んでどうしても帰らへんねん。一人は家には帰れへん、いうてだだこねるし。もうほいでしゃあないさかい店で寝ろいうて、朝に車で送っていったんや。ほれが9時や。その親戚と待ち合わせしてたんは米原駅のホームで9時半や。間に合うわけないやろ。ほれで結局時間遅れたんや。日比谷公園の近くいうから、わいその親戚のやつが場所知ってるって思うがな。ほいだら、そいつも場所分からんいうがな。どうしようかあ思てな。けど分からんししゃあないで、日比谷公園で焼きそば食うて帰ったわ。そのまんま。ほの焼きそば全然肉あらへんがな。ほれでおい兄ちゃん、わしら滋賀からわざわざ来たさけえ、焼きそばちゃんと食わせろいうたんじゃ。ほれで食ってビール呑んで、そのまま帰ったわ」

 「ああ、ほうや、犬の写真、客が欲しい、いうであげてしもたわ」

 「わいなあ、育ちは大阪やけど修業は赤坂やったんじゃ。周○○のとこに行ったわ。オマエぐらいの年の頃や。当時なあ、ほうかあ、わい、東京行くいうにゃから新幹線乗れる思うたわ。ほんなら違ってバスや。気いついたら東京や。新幹線は速いなあ。起きてるうちにぴしゃっとつくなあ」

 「わい、プロレスすきやな。以前はこの八日市にも巡業あってなあ、そのたんびにこの店埋まったんや。向こうも頼むでえ、いうしやな。焼き肉や。あいつら牛一頭分くらい食いよるで。けど、気持ちええんや」

 「最近はなあ、キャンプとかほういうのに凝ってるんや。こないだも料理教室で、大津に教えに行ってるやろ。ほれの生徒さんで、一緒にバーベキューやろういうねん。ほいでわい出会いあるうて思うがな。実際、ほんなん、しゅうちゃんいっぱい独身の女の人きゃあるでとかいうしやな。ええとこみせよう思ってめいっぱい料理準備したんや。ほしたら何のことはない、みんな子ども連れや(笑い)ウマイウマイいうて食ってくれた。お前らもそんなんするんやったら、道具あるで貸したるで」

 「この盆、忙しなるなあ、思って、いつもより多く仕入れしといたんや。ほやけど珍しい盆やな。金曜日なんて10時になっても一人もきょうらへん。もう今日はしまいや、思ったら○○がふらっときてな。店の前で立ち話や。ビール呑むっていうさかい、店の前で呑んだわ。その日は500円や」

 「あの、パノラマいうのんか。あれはじめて見た時、びっくりしたで。なんや、前によ。山行った時の写真でな。ほんなパノラマに知らんとなっとたんやな。カメラが。できあがってきたら長いがな。ほやけんど、あれ、別に眺めてる幅は変わらんよな」

 「わいも写真好きやで、素人やけどよ、八日市でも走ってるとあ、ええなあ、なんやらきれいやなあ思うときあるで。けんどよ、ほこで車とめると何がきれいやったんかわからんなるなあ」

 その日、はじめてしゅうちゃんを写真撮りました。しゅうちゃんは意識するでもなく、ときおりお茶を呑みながら話に夢中でした。そんなに饒舌なしゅうちゃんもはじめてでした。なんか、言うときたいことがあとからあとから思いつくように、今の話と昔の話をごちゃまぜに話すのでした。僕は帰ってきてゆっくり呑める場所ができてよかったなあなどと考えていました。ヤギはカウンターの上の壁に去年とかわらずいました。

 その時の写真ができあがったので、送ろうと思っているうちに一ヶ月が過ぎました。まあ、次帰ったときでも持っていこうかなと考えが変わった頃、一本の電話があって、しゅうちゃんが亡くなったのを知りました。僕が店に行った十日後くらいに永源寺の川でキャンプをして、下の子が溺れたのを助けてそのまま二時間くらい見つからんかったらしいです。いつもぼさぼさの頭とすりきれたジーンズで「わい、わい」と自分のことをいうのが似合う人でした。



外は台風22号