空が白いです。

  • 『小さなおみせ』(1995年5月・旧稿です)


 江古田に住んでみて、小さなおみせのことを考えるようになりました。コンビニでもなく、ス−パ−でもなく、ディスカウントストアでもなく、売り場面積も狭く看板も古いただの小さなおみせです。つまり、カタカナではうまく言い表せないおみせについて時々考えます。
 
 小さなおみせは、決して食堂ではありません。食堂はどんなに小さくてもファミリ−レストランにはない独自の味をもち、だいたい、旨い食堂はせまいようです。自転車屋さんも違います。あんまり大きい、たとえば、ビルのワンフロアをママチャリで埋め尽くすような自転車屋さんは見た事がありません。自転車屋さんは、せまい店の中を新旧とりまぜた自転車と古い機械で飾りたてるのが普通です。あの骨むきだしのごちゃごちゃ感じは好きですが。また、同じ小さいのが当たり前という理由で花屋さんも違います。ビックカメラの京花壇のようにでかくて量もいっぱいだとありがたみがありません。

 昔、寮の同じ部屋だった友達が、彼女と別れる時に、たまたま通った花屋でバラを
「全部くれ。」
と言って彼女に渡し、見事後日復活したぞという話を、僕が失恋してぼろぼろの時に話してくれましたが、そんな鼻血が出そうな話も花屋が、小さいから出きる事であって、ビックカメラで言おうものなら彼女も逃げ出すでしょう。ただ、花屋さんの自転車屋さんと違うのはいつも新しい花で店内を飾りたてるということです。
 
 でもそんな事が言いたいのではなくて量販店にも売っている商品を扱って地元の人に細々と商売している小さなおみせの事です。
 
 僕が小さな店を気にしだしたのは、2月の最初の頃、駅からの帰り道でベレ−帽を被った小さなおじいさんが、今まで客の居るのを(店員がいるのも)見たことのない小さな時計屋さんの前で、じっとショ−ウィンドウを見つめているのを見てからです。僕はまず、黒人の子どもがショ−ウィンドウの向こうのトランペットを見ているCMを思い出し(ジャックスカ−ドでしたっけ)、そのあとなぜか、ああ、そうかと思ったのです。何がああそうかやねんと聞かれると難しいのですが、これは大事なもんやなと思ったのです。小さなおじいさんが欲しいのはカルチェでもホイヤ−でもなくシチズンやセイコ−の金色の時計のはずです。それをおじいさんはその店で定価で欲しいのです。
貯金で買って嬉しくて息子夫婦や孫に見せると、息子はたぶんこういうでしょう。
 
「お父さん、そんなんビックカメラ行けば、もっと安う売ってるでえ、いうてくれれば良かったのに。」
 また、孫も、
「おじいちゃん、そんなんよりG-SHOCKの方がかっこええよ。」
と言って家族は誰も認めません。

 それでもおじいさんは満足なのです。裁縫しているおばあさんに、
「もう、お昼ですか。」
と聞かれるのをさりげなく待ったり、最近、行ってなかったゲ−トボ−ルに一番に行ったりするのです。

 小学生の頃、ガチャガチャの中に(古いおもちゃ屋の前によくある、お金をいれてひねるとプラスチックの玉の中にいろいろ入ってるもの。僕らはガッチャンコロコロと言っていた。)ガンダムの鉛で出来ている小さなおもちゃが入っている時期があって、そのおもちゃがどうしても欲しくて一回五十円のものに千五百円もかけて親にひどく怒られたことがあります。僕はどうしてもボ−ルというモビルア−マ−が欲しいのですが、出てくるのはビグザムエルメスやみんながいっぱい持っているものなのでした。さすがに、二十回ぐらいやっていると良心的な店のおばちゃんが、

「もうでてこうへんでやめといたら。」

と言うのですが、やっぱり欲しくて欲しくてたまらないのです。たぶん、ちょっと頭が働けば、同じ様な製品が箱に入って売っているのでしょうが、そんな事は知らないし知らなくてもいいし、やっぱりガチャガチャに入っているやつが欲しいのでした。
 確かにそのころよりは、少し頭がはたらくので、どういうところにいけば、どういう物が売ってて、どんなふうに安いか、その気になれば調べられます。探せば安い店があって、またこだわらなければ同じ店の中によく似た物が隣に安く置いてある事もよくあります。で、多くは量販店で、いろんな種類のものを一気に、「ついでやし安いから」、という考えで買ってしまうのです。もちろん、僕も普段そうですし、今の生活はそれで成り立ってます。そりゃあ、見事に便利です。
 
 でも時には、あのおじいさんのような、「ここにいるから、ここでこれを見たから、欲しがる幸せ」を感じるのもええな、と思うのです。もし自分の暮らしている町で、自分の関係を持った場所には、ロ−ルプレイングのゲ−ムのようにマップが出来ていくんだとしたら、小さなお店はいつまでたっても埋められない黒い部分のままでしょう。生活は家と量販店との往復です。それはそれでいいのですが、でもいつか、小さなおみせで欲しいものができたら、何も知らずに欲しがれたらと思います。子どもにも最初から、セットを買ってやるのではなくて、ガチャガチャをやらせてみたい、とかです。友達とガチャガチャしに行った日に欲しいやつが取れなくて、次の日内緒で一人で行って取れなくて、どんどん日が暮れていく時のやるせなさったらなかったでした。あの薄暗い夕方の、じと−っとした不思議な気分も、小さなおみせの前でこそ、ある気がするのです。                       
                                (おわり)