ストリートカルチャー
「ストリート・オブ・ファイアー」という映画は好きなのだけれど、
これはストリートカルチャーとは関係ない。
「カルチャークラブ」というバンドは知ってはいるけれど、
これはストリートカルチャーとは関係ない。
毎日私鉄一駅分歩いて仕事に行っているけれど、
これはアディダスを履いている以外はストリートカルチャーとは関係ない、らしい。
街撮りをたまにするけれども、
これはストリートカルチャーとは、一線を画している。
昔は池袋から渋谷まで歩いてよく写真を撮った。
ヒップホップとファッションがストリートカルチャーなら、
観光化されず、廃れつつある地方の祭りも、神事やけれども広義のストリートカルチャーではないだろうか。
故郷では、「ワタリ」と云っていた。
脚絆まいてワラジはいて着物をシリツガミにして、
僕も小学生から18で上京するまで棒を担いで鐘を叩いて「ワタリ」をしていた。
路上で音楽活動をおこなうことがストリートカルチャーなら、
つまるところ、自分がストリートカルチャー、ヒップホップカルチャーをまったくわかってないことがよくわかった。自分の無知を謙虚に知ることはダイジで、自分の腹にしみわたってないのに、うわっつらだけの変な引用やマゴビキだらけで生む講釈や講義は、相手に失礼だ。
「文化の再構築」とは何か。「何」にたいしての「カウンター」か。
明日はかつて関東大震災のあった日
8月が終わる。
けれどもまた夏は来る。
冬をしのげば。