風の通り道

富田 基礎工事 6月

 

環境や境遇は待っていれば、つくられるし、用意されている。

たくさんのたくさんのヒトが関わって。

自分の居場所は、待っていても与えれない。

 

世間の中で、必死になって、スキマにもぐりこまなければ。

けれども、

そのわずかなスキマにすら、座り込む前にはじきだされたヒトは、

どこへいけばいいのだろうか。

雨露の下、ズブヌレのまま、

携帯電話の着信音はならず、

中の電話帳は真っ白かもしれない。

その携帯電話も来月には不通になる。

 

その日から、ただただ風だけが、そのヒトを吹き抜ける。

酷暑と、厳冬のくりかえしの中。

 

2年後、そのヒトはとうとう居場所の、自分だけのスキマを見つけた。

居場所をなくした2年間にあったことは、

1年後そのヒトが亡くなるまで誰にも話さなかった。

そのたどりついた居場所のスキマでのたった1年間が、彼の人生のほとんどだった。

たった一枚だけこわばった笑顔で、居場所のスキマの前、

直立不動のまま、風に吹かれる、そのヒトの色褪せた写真が、

図書館の落とし物コーナーに今も遺されている。