環境や境遇は待っていれば、つくられるし、用意されている。
たくさんのたくさんのヒトが関わって。
自分の居場所は、待っていても与えれない。
世間の中で、必死になって、スキマにもぐりこまなければ。
けれども、
そのわずかなスキマにすら、座り込む前にはじきだされたヒトは、
どこへいけばいいのだろうか。
雨露の下、ズブヌレのまま、
携帯電話の着信音はならず、
中の電話帳は真っ白かもしれない。
その携帯電話も来月には不通になる。
その日から、ただただ風だけが、そのヒトを吹き抜ける。
酷暑と、厳冬のくりかえしの中。
2年後、そのヒトはとうとう居場所の、自分だけのスキマを見つけた。
居場所をなくした2年間にあったことは、
1年後そのヒトが亡くなるまで誰にも話さなかった。
そのたどりついた居場所のスキマでのたった1年間が、彼の人生のほとんどだった。
たった一枚だけこわばった笑顔で、居場所のスキマの前、
直立不動のまま、風に吹かれる、そのヒトの色褪せた写真が、
図書館の落とし物コーナーに今も遺されている。