惜しくも亡くしたヒト、失ったモノ、壊したモノ、
ずっと見つからない、大切だったモノ、とにかく、眼の前から消えてしまったり、動かなくなったモノ。過去のアヤマチ。
だがしかし、そう悔やんで哀しみにくれなくとも、待てば、時間がたてば、行動すれば、新しい何かが僕の前に現れる。そしてもう一度ほほ笑むことができる。
遺失物人生は最期には、いいことと、わるいことが、プラス・マイナス・ゼロにできているように思える。
哀しんだだけ、悔やんだだけ、逆のプラスのヨロコビのフリハバは大きい。
そのヨロコビを感じるまでは、生きる努力をしなければならない。
諦めの境地に立って、風にふかれるだけなのは、他の縁もゆかりもない誰かでいい。