ジャンクションとギアチェンジ 

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完全にやり直しがきかない、という事柄は、あきらめなければ、自分が思っているよりは、意外と少ない。

 

生きてさえいれば。

 

怠けごころで、楽なほうを選んだつもりが、立ち向かってみると、返って苦難の連続だったりする。

過去のことに、逃げ込む癖がつくと、笑い飛ばすようになるまでは、恐ろしく時間がかかる。

 

一歩ドアを開けて外に出れば、誰しもがすぐにでも、僕を追い詰める可能性があるのだから、

自分みずから、自分を悲観的に追い詰める暇な時間は、短い人生の中で本来はないと思う。

作品よりも、自分自身がとにかく売れたい図々しさが表れる時は、表現者としての、謙虚さや創作、発表態度がもとめられると思うけど。

 

ジャンクションでの乗り換えや、ターニングポイントは自分で毎日、選択肢が用意されている。

 

義理、人情、恩の関係に、あまり長い間しばりつけられてはいけないと思うのであります。

 

ヒトは変われる。新しい出会いやささやかな、けれども大きなきっかけによって。

そのとき、自由でいなければ。

過去、汚れていても汚れていてもいい、履歴の姿が、白紙もなく、古新聞でも、無理ならザラバンシでもボロ雑巾でもいいので、ギアチェンジしよう。

 

そうして、生き続けていれば、いいのだと思う。