顔面骨折からの「今」

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顔面骨折した2年ほど前

レントゲン写真をみた、主治医の先生が、

「大丈夫です。これから骨が変形していって、またつながります」

と云ったとき、

本当に驚いた。

今はなんの痕もない。

もっと前に顎切って、6針縫ったあとはかすかにあるけど。

 

でも草木をみて歩いていると、

それで、骨がまたつながっていくのも、あたりまえのような気がする。

生きていればこそ、枯れてしまわなければこその話だけど。

 

現状維持で安心安心と、立ち止まることは回復ではない。成長なんてもってのほかだ。

顔の骨すら、日夜、変形していってつながり、回復する。

 

昔から、肩書きにふんぞりかえる、権威にすがりつく、相哀れむのはずっと嫌いだ。

確かな現実は「今」だから。

過去の立派な栄光も、これからの尊大な夢も別に聞きたくない。

そんな暇はない。

誰かが、どっかからもってきた、知識のひけちらかしのほうがよっぽどマシだ。

 

「今」のことがしりたい。

自分の足で歩いて。

君と、路上の草が、喜怒哀楽を教えてくれる。

根っこから、「今」の成長をうながしてくれる。