芳一は何故、耳に経をかかれなかったか

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当の芳一が書き残してなければ、わからない。

どんな、名作も蔵の中や、藪の中、ましてや収蔵庫の奥に山積みではわからない。

ましてやヒトの本当の気持ちなんて、わかるまでそうとう時間がかかる。

本人すら自分がどんな気持ちがわからないときもある。

それでもセケンのあのヒトやこのヒトと、かかわって生きなければならない。

俗を絶って、哲人や仙人になりたいヒトは、それはそれで自由にすればいい。

関係者以外立ち入り禁止の向こう側で、殿様づらして、じっとしてればいい。

肩書きなんて名前だけで充分じゃないか。好きなヒトは肩書きにすがってソファに座ってればいいが。

僕はいやだ。

俗を歩いてナンボやないの。どれだけ歩けるか。

痛みはわかちあって、喜びは倍にして。

と、ド田舎の坊っちゃん育ちの僕でも思う。

何のレッテルを貼るのか、何の任務を背負うつもりなのか、

誰の代弁者か、神さんの代弁者か、知らないが、

ヒトの足をひっぱるのだけは、やめてくれ。

日本でもかつて「恥を知れ、貴様等」という時代があった。

あんたに云われる前から、存分にさげずまれ、恥をかいて生きてきた。

明日も朝から恥をかく。口だけならどうとでもいいいまわしができる。

まだ日本が、単一民族国家やと思っているカタがおられる。

太古の昔から、日本は多民族国家だった。

なぜ、連立が政権を握れるのか。

僕にはさっぱりわからない。

阿保やからやろうか。

でも俗の中にいて、

阿保でいるほうが、不自由の傘の下でも、真の意味で、自由だ。

芳一は自由ではなかった。

耳だけが自由に飛んでった。

SpO2 98% 2021年1月29日22時42分現在