ひきこもり推定国内100万人、別におかみに云われんでも、ずっと前からステイホーム。

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どうせやるなら、楽しくいこうで。

肢体不自由者も、知的障がい者も、僕のような精神障がい者も、VRのセカイを抜け出せないヒトも、SNSの世界にひきこもる方も、立派に胸をはれる、

社会的資産だ。

僕が『AKIRA』より『幻魔大戦』を好きなのは、

そこに言語化されない、世界中のヒトのつながりが、表現されるているからだ。

松尾芭蕉宮本常一もただ、国内を生涯歩き続けた。

門づけも、ネット配信なんてない時代に、自分の足で歩き続けた。

 

尊敬する写真家に、金村修さん、尾仲浩二さんという先達がいて、やっぱり歩き続けている。

山岳、民俗では、やはり清水武甲さんが別格だ。息子さんは写真館を秩父で経営されておられる、一度お会いできたが、緊張して何も聞けなかった。

 

慶応で、折口信夫さんの影響をうけ、日本、世界の「マレビト」を生涯撮影されている民俗写真家の芳賀日出男さんが、僕の修士論文のテーマだった。「花まつり」も真冬の山奥でおこなわれ、僕も独り観にいった。ご本人にも何度もお会いすることができた。「田の神と芳賀日出男」という今思うと稚拙なインタビューに何度もお相手してくださった。

 

画面構成は柳沢信さんという、晩年言葉を失われた写真家の作品が大好きだった。

僕が、写真に関する文章の手づくりの同人誌『White Paper』を東京アンカーで出したとき、最初に年間購読のお振込みをしてくださったのは、写真評論家の第一人者の飯沢耕太郎さんだった。第1号『島と写真』を評価してくださった。

 そののち、書ききれない写真関係者の方や美術関係者の方にお世話になったが、6号まで出すつもりが、『部屋と写真』3号あたりで、僕は酒に溺れるようになり、精神障がい者となり、各校の非常勤講師をすべてやめ、印刷会社の制作部で、呑みながら撮影とDTP業務を担当し、連日終電も乗れない、激務についていけず、退職した。その後印刷会社は倒産した。退職後すぐに、立教大学の図書館メディアライブラリーの担当責任者として働きはじめた。あそこでは本館担当の方が有能だったので、毎週顔をつきあわせて、より学生さんがデジタルデータベースを利用して学業に打ち込み、大学の資産を有効利用できるかを真剣に、打ち合わせをおこない、業務改善をし、学生アルバイトの管理をし、多少は貢献できたと思う。ただ、酒は止まらず、昼休みはチューハイを呑み、弁当屋で焼き雑魚のおかずだけを買い、近くの公園で野良猫にごちそうして、それを肴に酒だけを呑んでいた。

 

(中断、今から、15分後、岡山へ向かう)