Corn on the planter, alcoholism

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アディクションを治療対象とみる専門職のあいだでは、アルコールや薬といった嗜癖対象をやめて社会へ復帰するのが、回復だと考えるのが一般的です。(中略)しかし、この本に登場するヒトたちの「よくなること=回復」は、少し違うように感じられます。アルコールや薬などアディクションは止まらないままであっても、たしかによくなっている。よくなっていくとは、仕事、お金、社会的地位など”なにか”を手に入れるといった上昇していくことではないと思います。
むしろ、自分がさまざまなものへのめり込みながら逃れようとしたこと、忘れようとしたことを、なかったことにしないでほしいのです」

 

『その後の不自由―「嵐」のあとの女性たち』 

上岡陽江・大嶋栄子 著 医学書院 2010 p227 

 

 

昨日、ある方から教わった書籍からの引用です。

僕もかつて、朝起きてまずお酒、眠りにつくまでお酒、ある時は働きながら、ある時は無職になりながら、お酒に溺れていたので、印象に残りました。

たくさんのヒトに迷惑をかけ、傷つけてきました。多くのものを失いました。

今も気持ちだけは強くありますが、それを償うことなんて、たとえ200歳まで生きれても、無理です。言葉ではなく、行動で、身の丈で、返しつづけるしかありません。

友人も、たくさんお酒で亡くしたり、消息不明になりました。

哀しい、悔しい、やるせない思いもしました。

 

けれど逆に、あの時期、お酒に溺れなかったら、僕は今まで生きてこれなかったかもしれません。

 

今日もただ呑まないだけです。明日のことはわかりません。

 

お酒そのものは、本来いいものです。

 

プランターに玉蜀黍。

少し、プランターが小さく浅いような気がします。

気のせいかな。