Corn on the planter, alcoholism
「アディクションを治療対象とみる専門職のあいだでは、アルコールや薬といった嗜癖対象をやめて社会へ復帰するのが、回復だと考えるのが一般的です。(中略)しかし、この本に登場するヒトたちの「よくなること=回復」は、少し違うように感じられます。アルコールや薬などアディクションは止まらないままであっても、たしかによくなっている。よくなっていくとは、仕事、お金、社会的地位など”なにか”を手に入れるといった上昇していくことではないと思います。
むしろ、自分がさまざまなものへのめり込みながら逃れようとしたこと、忘れようとしたことを、なかったことにしないでほしいのです」
『その後の不自由―「嵐」のあとの女性たち』
昨日、ある方から教わった書籍からの引用です。
僕もかつて、朝起きてまずお酒、眠りにつくまでお酒、ある時は働きながら、ある時は無職になりながら、お酒に溺れていたので、印象に残りました。
たくさんのヒトに迷惑をかけ、傷つけてきました。多くのものを失いました。
今も気持ちだけは強くありますが、それを償うことなんて、たとえ200歳まで生きれても、無理です。言葉ではなく、行動で、身の丈で、返しつづけるしかありません。
友人も、たくさんお酒で亡くしたり、消息不明になりました。
哀しい、悔しい、やるせない思いもしました。
けれど逆に、あの時期、お酒に溺れなかったら、僕は今まで生きてこれなかったかもしれません。
今日もただ呑まないだけです。明日のことはわかりません。
お酒そのものは、本来いいものです。
プランターに玉蜀黍。
少し、プランターが小さく浅いような気がします。
気のせいかな。