足の指がなんとなく地面を感じているあいだは

    • ( 1995.2.6 旧稿 )です 

白紙という名の日記

 
 ナマステ
 
 日記を書こうと思いました。
しかし、続けていくことが出来ないのも分かっていました。根気が無いといわれればそのとおりでやっぱり根気が無いのです。一人で続けられないので二人で注意しあって日記を書くことにしました。で、そのままでは男同士の交換日記になって不安なので雑誌にしました。で、それでも不安なので二、三の友人に「今度雑誌を作る事にした。」と言いました。もう大丈夫と思っていたら、三ヶ月が過ぎてしまいました。
 
 世の多くの雑誌は、時代を勝手に先取りし、かつびっくりするくらいしょうもない事の予想をし、僕らにこれからの事を考えさせてくれます。そりゃ偉いもんです。ですから僕らは、その時にあった事を、そのときに考えた身近なことを、いろんな形で考えたり考えなかったりする事にしました。ですからこの雑誌は僕らがしっかりと一月を体験し終わってから、一月の事を書いていきます。

 「面白い」という言葉はもともと、いろりばたで笑った人の顔がいろりの下からの明かりに照らされて白くうつることからいわれだしたんだそうです。ということはいろりばたの世間話についての言葉だったわけです。自分の膝元にあるいろりの光に照らされれて身近な事について笑う、考える。そんな小さな事を、こつこつと、こつこつと記録する。
 「ええなあ、ええことやんか」
とか、いろいろ思います。

 ほんまです。
 
 それと、
昔、つきあっていただいた女の人達がつきあいだした当初は

 「あんたて笑かすわあ」

と言っていたのに一、二ヶ月も経つと(短い)まあしばらく経つと
 「つまらへん」

と言い出すのはなぜか?
 そこには様々な要因があるのでしょうが、一番大きいのは話題や冗談の中心が身近な事からどんどん離れていく。つまり神崎郡を越え、滋賀県を越え、京阪神を越え、箱根の山を越え、東京を越え、国際的になり誇大夢想的になり桃源郷にも頻繁に出入りし、将来稼ぐかどうかもわからない金の使いみちについて考え、それはそれでいいのですが、自分の膝元にあるいろりに薪をくべるのを忘れて火が消えた時、

 「つまらへん」

となるわけです。ですから誇大夢想的にはほっといてもなるので身近な事が大事やなと思うのです。

ですからつまり

日記です。     


1995年1月あったことのキーワード(当時記入していたもの)

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