After sunset
落日のあとのヒト。
Human stride
彼のホハバ。
Full moon in the evening
夕べの満月
Two good friends
なかよしフタリ。
alive
なぜか、すれちがいざま、お互い、頭をさげた。
活きているということ。
秋の夕暮れ。
This is fine
これでいいのだ。
Rehab photo therapy
やっとこさ、立って、歩きだせたのは夜だった。
カメラをさげて。
Last day of august
僕の4畳半、一人暮らしの部屋に6種類8灯ある、
撮影ライティングのためのアカリのひとつ。
お盆休み明けから、在宅勤務になり、と同時に体調を崩し、業務はこなせているが、しんどくて、外には出れなかった。
このアカリは、可視化できるイキモノとしては、ただ、僕自身と、唯一同居してているハエトリグモ一匹だけを照らしている。
森田正馬の「不安常住」という言葉がある。僕はものすごく共感する。不安は安易に解消するべきではないと思う。不安を安易に解消すると、また別の不安をさがしてきて、またそれを安易に解消するという、いたちごっこのような生き方になるような気がする。
不安と共生してこそ、深い喜怒哀楽の日々を活きられる気がする。
僕だけだろうか。
Laugh at the end
百人百様の生きざまをみとめあい、共棲して、
いろんなことがあっても、みんなで対等に、笑いあえればいいんだと思う。
それが理想論とは、僕は思わない。あきらめさえしなければ。
One step ahead is light
一寸先は光。
If it's your choice, you can be anywhere
居場所を選択できる大切さ。
選択できなければ、そして、何か悩みや苦しみを、抱え込んで、
自死までとはいかなくとも、自分自身にとって、深刻であれば、
今いる居場所の中を、変化させればいいと思う。
決して暴力はつかわず、問題提起して、相談し、戦って。
勝てば、居場所の中は、たとえ少しでも変化するし、
負ければ、そこから堂々と胸をはって、出ていける。
例えば、労働による対価を得ているならば、
多かれ、少なかれ、悩み、苦しみはあるとは思う。
でも、その苦しみの臨界点をこえてまで、
その職務にこだわる必要はないという気がする。
「生活水準を今より落としたくない」「せっかく現代では、残り少なくなった終身雇用の職場だから」「家族のためだ」「自分の子どもたちに高等教育を受けさせたい」「老後の安心のために」
ほか、さまざまな気持ちや、理由があるのは、僕自身も、月曜日から土曜日まで働いているし、一緒に暮らすことは小2から不可能になったけど、高校1年生の息子がいるから、もちろんわかる。
けれど、家族をもつ人ならば、家族は日々、あなたの活き活きとした表情、言動が何よりも見たいはずだ。
単身者なら、友人も日々、同様にあなたの活き活きとした姿が見たいはずだと思う。
労働の愚痴や悩みや苦しみを聴くためだけに、家族や友人はいるわけではない。そういうことを、同僚や、家族や、友人にぶつけないメンタルの強さを持っている方はいい。
その職務そのものに、生きがいを感じている方は、所得が高い低い、関係なく、どんな悩みや苦しみも自分の成長の糧になる、と感じておられる方が多い。そしていつもいつもではないにしろ、結果的に活き活きとしている。
たしかに、高所得者層の家族は、子どもに義務教育の他に、高等教育、各種の習い事や、学習塾、または、さまざまなサービスを与えることができる。
低所得者層の家族が、子どもに与えられる選択肢やサービスは、限られてくる可能性はたしかにある。けれど逆に子どもが、ハングリー精神というものの、「気づき」を得る場合もある。
結果的に、高所得層の親が「よかれ」と思って与えたサービスが、子どもの本来、自由な、生きかたを限定させてしまう可能性がある。子ども自身が、意志を持てば、たとえ親が転職して生活水準が下がっても、奨学金制度や、さまざまな方法で、低所得層でも、高等教育を受けることができる。
そして、親自身は、所得が下がったとしても、活き活きとした姿を、家族みんなにみせることができる。
単身者の場合も友人や交流している人たちに、同様の姿をみせることができる。
僕は、田中角栄のおこなった政策や、政治理念は知らないが、本人は小学校しかでていない。
卑近な例でいうと、僕の祖母は、尋常小学校すら、卒業したかどうかさだかでない。
野良仕事や、数多い兄弟の世話で、学校どころではなかったからだ。でも戦後、シングルマザーとして、落花生の行商と、野良仕事とで、もちろん、遺族年金もあっただろうけど、家を買い、僕の父親を高校教師として、育てあげた。
誰に聞いたか忘れたけれど、桑田真澄は高校時代、立派なトレーニング設備で個人練習をしていた。かたや清原和博は、河川敷で素振りをして、個人練習に励んだ。結果として、同じプロ野球選手になった。
「自分の居場所」そのものについて、思いをはせる時間を持ってほしい。
それは、何処でもいいのだ。
そんな気がする。あるがまま、で、いれる居場所を手にいれてほしい。
BGM 笹川美和 『家族の風景』
Opposition to power, authority, regime, mass media detox
デトックスは、あくまで個人の欲求や、生理的現象でおこなわれるべきで、
権威や、権力、体制、マスメディアによって、命令されたり、方向性をもたらせるものではない。
BGM THE BLUE HEARTS 『ラインを越えて』