バカボンのパパ
伝えたいことを、言語化できるなら、わざわざカメラという異物を構えて、写真を撮ることはないわけで、
記録の意義とは別の、そのときの感覚または感情の発露の、
台詞もト書きも筋書きもない一枚が残る。
彼氏、夫が撮った彼女、妻の写真。
彼女、妻が撮った彼氏、夫の写真が一番いい表情をしていると思う。
それは第三者にはみせない表情やしぐさや所作だ。
もしかしたら、一生で今日にしか出会えなかったもの、
そんなものを探して、毎日地味な写真を、働きながら、一日100カットくらい歩いて撮っている。
でも、そんなものに出会えて、のちのち観かえす写真はたぶん、500枚,600枚の中で1枚だろう。もっと少なくて、1万枚に1枚くらいしかないかも知れない。
これでいいのだ。一生で1枚遺れば、いいじゃないの。
戦死した祖父の遺影のように。
バカボンのパパが背中を押してくれている。
それでいいのだ。
これでいいのだ。
きみでいいのだ。
イキカタに価値がある。